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ジュエリー。


「Gioia」それはジュエリー、そして喜び。
しあわせの記憶は増えていく。

キリスト教のお祭り・ナターレ(クリスマス)は1年で最も重要な祝日。
ファミリーを大切にするイタリア人のお話をしましょう。
キリスト教徒のクリスマスは家族で過ごします。
両親の家に集まり、聖なる夜を家族で過ごします。
その時に欠かせないのがドライフルーツをたっぷり入れたパネトーネと呼ばれるパン菓子と家族それぞれへ心を込めて用意したプレゼント。

その王道はジュエリーです。

イタリア人は夫婦や恋人同士に限らず、
親子や祖父母と孫の関係でもビジネスの相手でも頻繁にジュエリーをプレゼントしあいます。

クリスマスにはもちろんのこと、
例えば、女性が第一子を出産すると、家族や友人が母になったお祝いとして彼女にペンダントなどを、赤ちゃんには誕生祝いとして男の子でも女の子でも、ブレスレットなどを贈ります。

子どもの成長過程には、日本の七五三のような儀式があって、その贈り物もみんなジュエリー。
国民性なのか、歴史なのか習慣なのか慣習なのか。
幼い頃からジュエリーに親しんで育つイタリア人、
装い方や審美眼はもちろん、贈り贈られるときの知恵や情熱、美意識にも並々ならぬこだわりがあります。




贈り上手になる秘訣は?ってよく訊かれますが、
なんにもないんです、ホントの話。
日頃から相手に関心を持ち、理解を深めておくこと。
贈る相手の誕生日や好きな色、可愛がっているペット、趣味などよいヒントはいろいろなところに潜んでいるもの。
特に稀少性の高い宝石や、フルオーダーでない店頭商品でも早めに手配すればイニシャルやメッセージを刻印してもらえば世界にひとつのジュエリーになります。
そんな丁寧な心遣いこそ、贈り物の本当の真価なのかもしれません。
私の場合は思いつきや衝動、もしくは似合うなと思った瞬間に購入しているわけですから、贈り物というよりは押し付けなの。
それを周りの人間は勘違いしてくださるらしく、
当の本人は御迷惑なんだろうな、と、いつも思います。

女性が足を止めて見入ってるジュエリーがあると、
連れの男性は女性に気づかれないようにそっと店員に囁きます。
「あれ、取っておいてね。」とウィンクします。
贈られた女性はとびきりの笑顔でよろこびや感謝を、男性は”やった!”と思うような機会はなかなかないですよね。
贈り上手な人は贈られ上手。
「あなたのよろこぶ顔が見たい。」こんなキャッチフレーズのテレビCMにノドの奥が熱くなります。






「頑張った自分へのご褒美」なんて桃井がね〜、いうのよ〜。

経済的に自立した女性の多くはこの経験をお持ちでしょうが、
頑張った自分へのご褒美を自分にプレゼントする。
「ジュエリーは自分で買うものじゃない」と祖母のことばを忠実に守っている腰掛けOLの金属アレルギー持ちの私にはよく解らない理屈ですが、奨励はします。
ジュエリーは人に勇気と自信を与えてくれます。
ストーンヒーリングなんてことばもチラホラ聞こえますが、
アンタ、女のジュエリーは武器よ武器!(笑)
着飾る女が家ん中で家事なんてしようモンなら食器に傷付けるかグラス割るか、
お洗濯なんてしようモンなら洗剤が付くし、衣服に引っ掛かるし。

パウダールームの自己暗示、金曜の夜は決戦、どっからでも掛かってこんかいっ!って、
仕事や子育てに頑張る女性にはとても必要なのかもしれません。

働く女性にはルビーをお勧めします。
ルビーは女性の守り神になる石で、付けると元気が出ます。
良い出逢いや、良い出来事を招くんです。
気後れしそうな場面でも相手に呑まれ難い。
衝撃や、摩擦にも強く、少々ぶつけたって傷つかないから忙しい女性が毎日身につけるにもピッタリです。



日本の女性は重ねてジュエリーを扱うのが下手ですよね。
オトコなんてもっと下手。アバクロのチョーカーとかクロムハーツを付けていればカッコイイなんて思っている。


もっともっとレイヤード。
重ね付けを楽しんでみてはいいのではないんでしょうか。
ありったけの身上、略して「アリ身」でもいいんです。
難しく考えず、まずはお手持ちのリングやブレスレッド、ネックレスを重ねてみる。
地金の色を統一する必要はありません。
特にクリスマスのこの時季の華やかな装いには、イエローゴールドにホワイトゴールドやシルバーを組み合わせるコンビネーション使いがピッタリ。
例えばウォッチがシルバーメタルでもその近くにイエローゴールドのブレスレッドを1本プラスすれば、イエローゴールドのリングにすんなり美しく調和します。
ジュエリー同士の相性も付けていくうちにわかって来るものです。

ブランドやプライスよりも装い方にこだわるのが、本当のおしゃれ。
チャレンジ精神を発揮すれば真似やお約束通りではない、自分らしいスタイルを見つけましょう。洋服とジュエリーを敢えて違うテイストで合わせてみたり、
クラッシクなデザインをカジュアルに楽しんでみたり。

みんなが持っている流行のアイテムも付け方やアレンジを変えれば自分流の装いが出来上がるものです。

誕生石を身につけるのはお守り代わり。なんてこともよく耳にします。
もちろん、誕生石のひとつぐらいは持ちたいですね。
って言うよりも贈られたいですよね。
石はそれぞれにオーラを出していますし、
こちら側の選ぶ審美眼もあります。
その石を手に入れるということ、その石の力も同時に自分の力になるということ。
パワーストーンにもカラーセラピーにも話しは繋がるのでこの辺は割愛しますが、
ホープダイヤは有名ですね。
「天空の城ラピュタ」のポムじいさんが言うじゃないの。
「力のある石は人を幸せにもするが、不幸を招くこともよぉーくあることなんじゃ。」とシータに警告します。物語の中で、幸と不幸は石により誰にどのように導かれたと思いますか?







女がね、ジュエリーを通して見るものは、それを身に付けている自分の姿じゃないのよ。
自分をいちばん見てほしい人の視線。
「あの人はどう見るだろう」
「あの人はどう思うだろう」
鏡の前で自分の姿を通り越してその向こうにいるあなたのことを考える。

大きな愛をもらえば、大きな責任が生ずる。
# by himawari-salad | 2004-12-01 23:06

恋の音色

男の残していったままのCDを夜更けに聞いていると、やるせなくなってくる。うったえかけるバラードは火鉢の中でまだ赤さを残してる墨。アップテンポの曲は、なにやら、空回りに聞こえて、まさにあの恋の燃え残り、という感覚にとらわれる。

これまでは、全部、私から好きだといった恋ばかりだった。
そして、ほとんどすべての恋は、私の口から終りにしてしまった。
それを今でも後悔しているわけではないけれど、毎回、最後はちょっと頑張りすぎる。自分で始めたことに対する妙な責任感みたいなものだろうか。
だから、うちにある借りたまま返せなかったCDは、なんとなく彼の置手紙や、付き合ってるときにも、別れ際にも言えなかったメッセージに聞こえて、切ない。 あの時にくらべて、私っていい女になれてるのかしら、と考え込んでしまうのだ。

けれど、片思いで終わった恋のCDは、当時はさんざん迷っていた日々を、むしろ新鮮に思い出させてくれるから好きだ。中でも、けっきょく片思いにさえならず、自分の中で友情にすりかわっていった好意が残したCDは、好きかもしれないと気づいたときの、あの爽やかな気持ちを、いちばんよく思い出させてくれる。いくつ、とはいえないけれど、確実に成長につれて、目減りしていく、あの気持ちだ。

そうした言葉にならない気持ちは、無理やり言葉にして残すより、CDで残したほうがいい。そう気づいてから、どんなときも、何か言葉以外で残しておきたいことのためにCDを買う習慣がついた。そのうち、いやなことでさえ、その角が記憶の波に洗われて取れて、残るのは純粋に音楽と記憶だけになる。

もし、そのCDをなくしてしまっても、メロディと記憶は、脳にわりかしハッキリ刻み込まれているものだ。彼女もちのくせに、私にとやかくCDをプレゼントしたがる男がいた。彼はジャンルでいえばacid jazz が好きで、その中でもとくにミニマルな曲を愛していた。とりとめない音の反復は、音楽としての何かがある、というより、なにかしら映像みたいだった。

「空港のロビーで聞こえそうな音楽ね」というと、むしろ、男は喜んだ。

彼が、これのアナログ盤買ったから、などと言いながら、たいした感動もなしに、カバンから取り出すCDは、いずれも、なにげない言葉をなにげなく聞き、そして忘れるようなしろものだった。その中で一番印象に残ったのは、バッハの「無伴奏チェロ組曲」をサックスで吹いた、「展」が名前につく人のアルバムだ。
息をふきこんで、はじめて音がなる楽器の音がやけに官能的なことに驚き、赤面したことも、当時のあやうい私たちの友情も、彼の笑顔と八重歯も、みんな思い出す。

CDを思い出にするのをお勧めする理由は、もうひとつある。
徹底的な理由だ。CDなら、今の男にみつかっても、何一つ、ヒヤヒヤする必要もない。そしてなにより、過去をくっきりと記憶しすぎない。これも新しい恋を見つけるためのよい手段だと思う。恋の音色は、すぎさればまぼろしみたいに淡いのがよい。
# by himawari-salad | 2004-10-29 04:03 | himawari-20

女ともだち

ふだん、一人で喫茶店やカフェの類に行くことは少ない。誰にもあえて言わないが、基本的に、人間嫌いだからかもしれない。それなのに昨日は昼すぎに起きて、A通りのちょうど裏地にある、とあるカフェにわざわざ電車にまで乗って出かけていた。

入り口ですれ違った背の高い女性が、私を見つめて、微笑んだ。

しばらくたってから、その人が出入りしている編集部で顔なじみの人ではなく、学生時代の女友達だったと気づいた。しかし、その時には、私の名前を呼びながら、ごっそり荷物を抱えてテーブルを移動してきた作家の知り合いがいたから、彼女のことを深く思い出せたのは、帰りの電車の中だった。

当時、私は生徒会長とつきあっていた。もちろん、大学の生徒会は、本当は何歳かわからない、かろうじて学籍だけを残した「学生」によって運営されていたから、彼が生徒会長だったのは大学に付属の高校だった。私は高校のときから、彼のことはなんとなく知っていた。当時は「高校生文化」に、にわかな注目があつまっていて、彼と生徒会の仲間たちは学校を代表する形で、なぜだか、SPA!に取り上げられたりしたのだった。

「遅れちゃうよ、はやく行こうぜ」
などと言う話しぶりがやけに似合った。コロンをつけているわけでもないのに、整髪料のせいか、村上春樹の描く男の子とたぶん同じニオイがした。良しにつけ、悪しきにつけ、中身も同じようだった。

彼女と彼氏と私とは大学1年の時、同じクラスだった。彼女は長崎から来たというのに、完全な標準語をしゃべった。あまりに完璧なイントネーションなので、サルバトール・ダリがものすごく克明に描いたフランスパンが、ありえないものに見えてくるのと同じ理由で、私たちの方が時々圧倒された。そして、変な大阪弁や栃木弁まがいのイントネーションになってしまうのだった。彼女のすぐれた言語感覚は、フランス語に対しても、とても秀でたものを見せていた。

はじめて大学からフランス語を勉強する生徒たちが圧倒的に多かったから、まずは、オリエンテーションということで、フランス人の若い男の教師は、われわれを教室の外に連れ出し、ただっぴろい大学構内を、あれはフランス語では何、これは何、と説明してまわった。春先の長雨があけた頃だった。桜の花びらがアスファルトにこびりついて、萎れていた。そこら辺に捨ててあるとも、おいてあるともつかない、透明なビニール傘が立てかけてあった。基本的にルーズな大学だった。

「傘って何ていうんだっけ?」と私はふいに彼女に尋ねた。彼女は即座に、「ぱらぷりゅい、よ」と完璧な発音で答えた。カヒミ・カリィが好きだといった彼女は薄い眉を、分厚い前髪で隠し、切れ長のすずしげな目元で、なんともなしに答えた。NHKのフランス語講座で覚えたといっていた。

ぱらぷりゅい。それはなんとも覚えにくい単語だった。高校からフランス語を学ばされて一番苦労したのは、頭の中にこびりついた英語の語感というか、音の感覚がまるでフランス語では違うことだ。文法はともかく、それになれるのが一番難しく、数年かかった。つづりは似ているものもあるが、発音はまるでちがう。オニオンは、わにょん。ポイントは、ぽわん。傘はぱらぷりゅい。

そのときから、彼女と私は友達になった。
とりあえず私がいちばんよく話すのは彼女で、彼女は私と生徒会長の間に座ることも多かった。

はじめて一緒にパリに行ったのは彼女である。飛行機がついた初日から、動き回った私は疲労困憊していたのに、彼女は郊外の3つ星ホテルのせまくるしいバスルームを長い時間占拠して、眉毛をカットしていた。そんなの、ほかでしてくれればいいじゃない、と私は思わず怒ったが、やがて、お互いの顔をはじめてスッピンで見るころには仲直りしていた。

早春のパリは、ほとんど東欧かと思うくらい野暮ったい重苦しい上着を着た人たちが、足早に通り過ぎる都会だった。素敵な人は、なかば観光地化したところでしか見られなかった。そんなモンテーニュ通りのプラダをひやかしていた時、ピンヒールの日本人が、店の前にあったメトロの通気孔に踵をめり込ませ、ものすごい音を立てて転んだ。店員全員が飛んででていって介抱した。「今だったら、盗んで逃げられるんじゃない?」と彼女が私の手のひらの財布を見ながら、悪い冗談を言った。私たちはまた笑った。

それから、ギュスターヴ・モローの邸宅を改造して作った個人美術館や、ヴェルサイユ宮殿をまわり、オルセー美術館の目の前に堂々と置かれた「アジア」という名前の、島田を結ったへんなブロンズ像を見て、声をたてて笑った。アメリカ人とおぼしき夫妻になにゆえか感動され、丁重な断りを入れられた上で「アジア」と一緒に写真を撮られた。

帰国後、私は横浜が実家の生徒会長に電話をした。彼はいつものことだが、愛想のよい声をだしながら、話の内容には愛想がなかった。私の話を礼儀正しく、ひととおり我慢強く聞いたあとで、○○ちゃん、元気にしてた?とたずねた。私には一言もそういうことは聞かなかった。問うたところで、君は元気だから電話するんだろう、といかにも不思議そうに聞き返されるのがおちだった。

彼とは基本的に合わなかった。
私は何かあるたびに、話し合おうとした。
しかし、彼はそのたびに、大きな目を丸くして、「君は自分のことを語りすぎだ。僕は恋人には自分のことなんか語らない」と言った。
―――友達には、自分のことを語るのだろうか。私はなんとなく、自分のことも他人のことも話ししようとしない、彼女のことを考えながら、最後は黙りこくった。

彼女と私は同じ学科に進み、男は違うところに行った。
わたしたちは相変わらず話をしていた。
しかし、生徒会長とは別れた。11時過ぎに045のナンバーを押して、何気なく出てきた彼に、さよならを告げたのは私だった。生徒会長は不意打ちにショックを受けたようだった。しかし、数日後、やっぱり、やり直そうと電話をしたのも私で、その時、生徒会長は「そんなこともう言うな」と困惑したような声で、しかし礼儀正しく応答した。「あなたはいつでも、優等生の生徒会長さんね」と言いたいのをこらえて、それじゃ、また明日、教室で。もう隣行かないから、とだけささやいた。彼女の声に似ている、と思った。

私が生徒会長と別れてからも、彼と彼女の仲は進展しなかった。なのに、私と彼女はいつからか、話さなくなった。最初、彼女の挨拶を気づかなかったからかもしれない。彼女と生徒会長もいっしょにいることはなくなっていた。
何がどうしてしまったのだろう?

話さないうちに、教室に入ってくる彼女を見つめられないほどに、壁ができあがっていた。
いつも一人でいるのが平気な彼女は、わたしがなりたいイメージの女でもあった。好きだというカヒミ・カリイみたいなメイク、髪、そして静かなしゃべり声。すぐに手がとどきそうなのに、もう彼女は違う世界に行ってしまっていた。卒業後の進路は何も知らない。就職活動などしていたか、どうかもわからない。

今思えば、立派に三角関係だったのかもしれない。いや、彼女は、私自身ではなく、生徒会長とつきあっている私が好きだったのかもしれない。

その夜遅く、一人きりで部屋の片隅に残していた、当時つけていた甘い花の香水を取り出した。「禁じられた花」という名前がフランス語でつけられた、その香水は従姉妹がパリに行ったときに、高校生の私に買ってきてくれたものだった。その頃は何もわからず、体温の低い耳たぶに、映画女優にでもなったつもりで毎日つけていた。すぐに蒸発してしまう甘い香り。昔のことを夢にでも見るかと思ったが、こういうところは10代だった頃と変わらない。本当は、夢など見ないことはその頃からわかっていた。

くもりがちなパリの春の夕暮れ、やっと顔を出し始めた太陽の光に浮き上がる、ポンヌフという橋の上でのことだった。彼女が開いたガイドブックが、急にほつれ、ばらばらと、強い川風にあおられて、白い鳩がいっせいに飛び立つようにページが切れ切れになっていった。私たちはしばらく空中をふわふわとオレンジ色に染められながら飛んで、深い群青色の川面につぎつぎと落ちていく紙を見ながら、「地図なくなっちゃったね」なんて言いながら、乾いた声で笑いあったものだった。

しかし、あの彼女は、ほんとうに私の友だちだった女だろうか。
# by himawari-salad | 2004-10-25 18:04 | himawari-20

むらさき。

あまり着こなしに自信がない人には、
シンプルな定番服に色を使って今年らしさを表現することがおしゃれの近道といえるのかもしれない。

毎シーズン、流行色は目まぐるしく変わりますが、
この秋冬はなんといっても紫。
青みの強いフーシャーピンクからブルーベリーのような深い紫、
そして軽やかなラベンダーまで微妙なトーンの紫が出揃っている。

紫は、ロイヤルパープルとしても知られているようにとても高貴な色。
神秘的でもあり、セクシーな雰囲気も感じさせる、他にはない特別感がある。

その歴史は古く、ギリシャ・ローマ帝王の象徴的な色であったり、
クレオパトラがヒメサラレイシ貝の分泌液で染めた深い紫色のシルクをこよなく愛し、
独占し、ヒメサラレイシ貝を求めて地中海を転々としたといわれています。
この貝紫のシルクは、同じ量の黄金を敷き詰めなければ買えないほど高価なものだったとか。
絶滅したと思われていたヒメラレイシ貝が近年発見され2千年ぶりに貝紫のシルクが再現されましたが、クレオパトラを夢中にさせただけに大変美しいものということです。

中国は漢の時代からこの色は武帝はこの色を愛し他人が使うことを禁じたほど。
また日本でも平安時代にはあの、光源氏が最愛の人に「紫の上」と名付け、
官位の中でも最も位の高い者に与えた色。

江戸時代には「病床の殿様」「助六」の鉢巻きの色に使われるなど。
紫外線と滅菌との関わりも深いほど。
粋な色と珍重されたと言う。

今年の秋冬、スタイルとしてのトレンドはレディーライク。
クラシカルな雰囲気ゆえに一歩間違えると古くさく野暮ったく年が余計に量増しでコンザバに見えてしまうので細心の注意が必要ですね。

その関係をうまく表現しているのが「アンテプリマ」。
タートルネックのニットに光沢のあるプリーツスカートの組み合わせを紫のグラデーションでまとめ、モダンに表現してみせる。
さらにクリアなリボン付き細ベルトとクロコダイル調のバッグを斜めがけにして、
甘さと軽快感も絶妙です。
こんなふうに紫を巧みに使うことによって旬のレディーライクスタイルを一層モダンに楽しむことが出来るはず。
# by himawari-salad | 2004-10-21 15:45

poison

http://himawaris.exblog.jp/
poison_b0022082_20414921.jpg

# by himawari-salad | 2004-10-19 20:44 | イラスト